多興味の行く末

エッセイ

自由気ままに生きるブロガー・フリーライター・エッセイストのYUMI@youmei81)です。




私ほど多興味で、思考が分散している人間はいないのではないかと、時折思う。雑ネタが豊富なのは、話題には困らないが、これ!という特技もスペシャルな技術も持っていない。ちょっとかじってはすぐに腐らせる、そんなタイプだ。

いつの間にか多興味になった。子供の頃からものを欲しがる子供ではなかったようだ。母親曰く、おもちゃ売り場で強請ねだって泣きじゃくるようなことはなかったし、「何が欲しい?」と聞いても言わなかったそうだ。親としては、むしろおとなしすぎて心配だったらしい。

確かに大人になった今も、物欲はない。洋服には無頓着だし、美容院すら半年に一度しか行かない。

仕事柄、唯一私がこだわっているのは、ノートと筆記具だけだ。これにはお金をかけるというよりも、時間をかける。自分が絶対に「これが使いやすい」と感じているノートと筆記具があって、それらを買い求めるのにたとえ遠くまで行かなくてはならなかったとしても、その時間は惜しまないようにしている。

さて、そんな物欲のない私が多興味になったのは、子供の頃から大人の中で育ち、周囲の大人たちから「良い子ね」といわれると母親がうれしそうな顔をしていたからだと、今になって思う。

生まれつき心臓が悪く、1歳ぐらいまでは病院で育った。公園デビューなんて、想像もできないほど、病院にいる時間のほうが長かったらしい。当然子供の世界ではなく、大人の世界の中で育つ。赤ん坊だったから全く記憶はないが、自分の3歳ぐらいの記憶をたどれば、ほかの子供と自分が違うのだと無意識で感じていた。はっきり言えば、何にも違わない。犬に育てられた猫が自分は犬だと思い込んでいるような、そんな感覚なのだろうと思う。

そんな環境の中で生きると、いつの間にか大人の処世術を覚えていく。子供の頃から、大人たちが会話をしている中で、独りでおとなしく絵を描いているのが好きだった。ひとりでおとなしく絵をかいていたのは実は見せかけで、絵が好きだったわけじゃない。大人の会話を聞いているのが好きだったのだ。しかも大人たちは、私がおとなしく絵をかいて、母親の隣でちょこんと座っているものだから、「かわいいわね。おとなしくていいわね。もう、うちの子は暴れてばっかりだから、手がかかってやんなっちゃう!」とぼやくわけだ。そのボヤキを聞いて、子供だった私に植え付けられたのは、良い子でいると、母が喜ぶということだった。

周囲の大人たちに私が褒められているとき、母はうれしそうな顔をした。「おとなしいから心配なのよ」といいつつ、うれしそうな顔をした。

そう、私は母を喜ばす処世術をこうして学んでいったのだ。



少しずつ子供の世界から思春期の不安定な世界へと入り込んでいくと、嫌でも多感期の子供たちの世界で生きなくてはならない。いくら子供の頃に、「あの子たちとは違う」と思っていたとしても、細胞年齢が変えられるわけもなく、当たり前のように学校へ行く。その中で、今度は学校の先生に認められることが素晴らしいのだと学び始めた。

小学校6年生ぐらいまでは、クラスでトップでいられた。子供の頃からおとなしかったので、常に本を与えられ、読書量は半端なかったからだ。しかし中学校ぐらいになるとそうはいかない。苦手科目もはっきりとできてくるし、中学受験で鍛えられた勉強に向き合う力も、一度ゴールを達成すると衰えていく。

クラスで後ろから数えても前から数えても同じぐらいの、すなわち、ごくごく平均点の生徒となった。これでは先生にも母親にも認められない。本を読むことは相変わらず好きだった私は、無意識のうちにいろんなことに興味を持つようになった。それでもまだこの頃は、小説と歴史と音楽ぐらいなもので、趣味の範囲でとどまっていたにすぎない。

はっきりと多興味に変わっていったのは、大学に入ってから。そのころ、『24人のビリーミリガン』というダニエルキースの小説が流行した。当時は多重人格障害と呼んでいた症例を小説化したもの。日本の女子ならだれもが興味を持つ占いが好きで、占い好きが高じて心理学にはまった。専門課程は日本史だったが、教養科目に心理学系の学問を選択したことがきっかけだった。占いよりも理論的で、証明できるものだったから、それがむしろ神秘的な世界に思えたのだった。そんな気持ちになったときに『24人のビリーミリガン』を読んだ。夢中になって、あの分厚い上下の本を5日間で読破したのを覚えている。

心理学を学ぶようになると、哲学にも倫理学にも興味を持つ。そうなると人間のあらゆることを知りたくなって、脳科学もかじった。はっきり言えば、脳科学なんて本を読んだだけじゃ理解できない。でも1~2冊本を読んで知った気になった。

いろんな本を読んで、知識が増えてくると、親や周囲の大人たちが認めてくれるようなそんな気がしていた。だからそれをやめることはなかったし、やめる勇気もなかった。

大学4年生の卒業論文の時期になって、ある時、ある占い師のところへ行った。将来のことに迷っていた時期だったからだ。実はこの頃から、私の多興味がネガティブな方向へと動き出していたのだ。大学4年間、専攻の科目に真面目に取り組んでいたらよかったものの、とにかくいろんなことに興味を持ちすぎて、雑学や雑ネタが豊富なのだけを自慢にして、「何がやりたいの?」ということに主眼を置いてこなかったことで、自分が何がやりたいのか、どんな世界で働きたいのか、全くわからなくなっていたのだった。

占い師のところで、卒業論文の話から色んな事に興味があるということを伝えたら、「あなたはいろんなことに興味があることは素晴らしいけれど、1~2冊本を読んだだけで、まるで専門家のように知った気になっている。そこを直さないと、一生自分のやりたいことなどわからない」と言い放たれた。ショックだった。

周囲の人たちに、「私はこれだけ知識があるんだぞ!」って認めてもらえると思って、いっぱい本も読んで勉強してきたのに!と悔しかった。反発した。そして思った。

「この占い師は当たらない!」

このことをきっかけに、私の多興味はさらに広がっていく。知識が多いほうが得なんだ。知識があり、それを証明できれば幸せになれるんだ。成功できるんだ。いつの間にかそんな思考になった。
だから、どんどん興味のあることを広げた。深めずに、ただ広げた。本を読み、読みもしないのに本をたくさん買った。社会人になって、学生時代ほど時間がないので、本をたくさん買ったところで、読む時間はない。典型的な積読だった。

通信講座もいっぱい申し込み、全部挫折した。心理学に、行政書士、社労士、日本語教師、、、ありとあらゆることに興味を持ち、全部上澄みだけ掬ってやめた。残ったのは、分割にした支払いだけだ。



25年以上の年月が経って、あの占い師は言い当てていたと思う。名前もすっかり忘れてしまったけれど、もしまた会えるなら、あの占い師に視てもらいたいと思う。

2020年コロナが広がった。世界がコロナに包まれた。レベルの高い資格があっても、生きてゆけない人がたくさんいると聞いた。1つのことだけやっていて、生きてゆけなくなった人もいる。むしろ3つ以上のことを徹底的に深めた人が生き残った。こちらがだめならこちら!という切り替えが柔軟にできるからだ。

あのとき占い師が言いたかったのは、こういうことだったに違いない。いろんなことに興味を持ってもいい。いざという時に役に立つ。しかし、どれもが浅い知識では結局何の役にも立たない。だから一生やりたいことなどわからない。ということだったのだろう。

さて、私の多興味も40代後半を迎えて、衰えつつある。図書館に行っても手にする本は哲学と占いと心理学の本だけだ。結局この分野が好きで、ほかのことは、自分の対外的なかっこつけに過ぎなかったのだ。

今でも、通信講座の案内を見ると、「あ、これいいな」「あ、これも」とやたらに興味を持つ癖は残っている。興味を持つことは、まだ心が若いんだという風にとらえるようにして、申し込みボタンをぽちっとする行動はしないようにしてる。結局やらない。その目的が明確なものでないならば、結局はやらないのだ。

そんな私でも国家資格を持っている。旅行業務取扱管理者だ。取得したのはいいけれど、実は何も役には立っていない。旅行業に携ってはいないから。いつか役に立つかな、、、と思いつつ、その予定はまだない。ペーパードライバーのようなものだ。そう、私は車の免許証ですら、持っているだけ!のゴールド!今や単なる身分証明書。

多興味は素晴らしいと言ってくれる人もいるが、すべてが中途半端なら、結果はこうなる。

さて、人生後半戦!
私はどこへ向かって行くのやら・・・。

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About me

YUMI /ブロガー・エッセイスト

コロナ前は、海外ロケコーディネーターでした。日本国内と海外を、1年中飛び回って生活しており、非常に多忙な毎日でした。しかしコロナによって、生き方を変えようと考えるようになり、いまはブログの執筆で生活をしています。旅行が好き。コロナ終息後には、プライベートツアーガイドとして活動したいと思っています。将来は外国人観光客のためのゲストハウスを作るのが夢。

Twitter @youmei81

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