人は日によって体調や気分が違う。やる気があるときも、ない時もある。いつも一定の気持ちでいられないのが人間だ。
ただその「やる気がない」とか「仕事をするのが嫌になる」というのも、人それぞれに一定の基準がある。その基準を理解すれば、やる気がない時でも上手に気分転換できるのではないか、と考えた。
海外をメインに仕事をしていた私は、日本にいる時にはやる気が出ない仕事でも、海外に出張している間はやたらとはかどるようになる。これは確実に気分の問題だ。
そういう視点から今の自分の生活の支えとなっている「占い」の仕事について考えてみた。
今の世の中は、恋愛もまともにできない、仕事は見つからない、給料は下がるなど、ネガティブな要素が多い。景気が悪いときほど儲かるのが占いだ。四柱推命を長年まじめに勉強してきたことが功を奏して、おかげさまで仕事は途絶えない。日々たくさんの依頼と向き合っている。
ただ、そんなにたくさんの依頼に恵まれながら、相談内容を見ると一瞬にしてやる気がなくなることがある。胸の奥の方がもやもやとして、ちょっと温度高めの熱いネガティブ系の感情がわいてくることがあるのだ。
最初は単に自分のやる気がないからだと思っていた。だから仕事をする時間を考えたり、やる気が出るように仮眠の時間を設けたりしてみた。しかしなんとも気分の変化が起こらない。そうなるともっと違ったところに原因があるはずだと考えた。
次に考えたのは、「占い」という仕事が実は嫌いなのではないかということ。しかし、占い自体は特別に「嫌い」だと思ったことはない。それに今ほかにできることは何もないのだ。これを深めていくしかないと、始めたころに覚悟していた。
となると、これは「相談内容」によるものだ。
どんな相談内容に「ネガティブな感情がわきやすいのか」分析してみた。
そうすると、相談内容に依頼心を感じるものに苛立ちの感情がわきやすいということが、自分の中でわかってきた。
占いだから、当然悩みがあって依頼がある。しかしその内容が、人によっては「運命のせい」「前世のせい」「相手のせい」「世の中のせい」と、絶対的に自分は悪くないという思考に基づく悩みであることがある。
私はもともと、自分で人生を切り開いてきたタイプだ。自分が占いにはまった時期もある。その時はどうにもならない悪循環の恋愛にはまっていた時だった。世間はヤフー占いなどのネットの占いが始まったころ。そのネット占いにはまったことが、結果的に自分で四柱推命を学ぶというところにたどり着くのだが、ネガティブな恋愛をしていた時以外は、すべて自分で人生を切り開いてきた。
以前にも書いたが、私は多興味で根性はなく、1つの仕事が長く続いたためしがない。

しかし占いだけは違った。なんだかんだ言って四柱推命は勉強を続けているし、ほかの占術もある程度はできる。30代後半ぐらいから、老後は占いで生きていくんだろうと漠然と思っていた。まさかコロナなど想像もしていなかったから、老後計画の前倒しになるとは予想外だったが、案の定思っていた通り、占いは私の人生を救ってくれたようなものだ。
多興味で人生の達成感は何ひとつ味わっていないような気がする。
しかし、自分で人生を切り開いてきたという自負はある。だからこそ、他力本願的な発想や他責の感情に苛立ちを覚えるのかもしれない。
じゃぁ、どうしたらやる気がわくのか。肝心なのはそこだ。
人は褒められることに弱い。だから私は占いでは、相手の長所を必ず先に見て褒めてから本題に入るようにしてた。実はそれが苦痛だった。相談の内容を見て、明らかに「他力本願」と感じるのに、長所探しができない。これは私の悪い性分なのかもしれない。
だから、やめた!できないことはやらない!褒めることをやめてみた。短い言葉でもいいから、的確に本当の欠点や問題点を伝えたほうが良い。人生が何だがよくない方向にばかり行くなら、何か間違っているわけで、褒めたところで何も変わらない。私の占いにたどり着く人は、おそらくほかでもたくさん占ってもらっているのだ。誉め言葉など慣れきっているだろう。
だとすれば、私が本音でぶつかればいい。大事なのは、その問題に対してうまくいく方法をまっすぐに伝えることだと気が付いた。
だからある時から、私の占いはかなりの辛口になった。その結果、依頼が倍増したのだ。そして私も今までよりも気が楽に、そしてやる気で向き合うことができる。
なんだ、自分と向き合いきれていなかったのは私なのだ。
お客に好かれようとする必要はない。その人の問題点を的確に指摘しなければ、お客が使ったお金の意味がないのだ。
決して安いとは言えない金額をいただいている。その分の対価として何をもたらすのか。それはお客様が想像もつかなかった、あるいは気づいていなかった問題点を浮き彫りにして、その改善をすることなのだ。
占いは実に奥が深い。
ただアドバイスする、ただ伝えればいいというものではない。
自分のやる気ということと向き合って、改めてこの商売の難しさを感じた。
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