今住むマンションには図書ルームが付いている。高層マンションの3階と4階がライブラリーラウンジ。どこかの大手の書店が管理しているようで、なかなかしっかりとした本のラインナップだが、そのゴージャスさの割には、貸し出しや返却をするためのシステムがしょぼい。
15インチぐらいのレノボのノートパソコンを使って、オリジナルのソフトウェアを稼働させているのだが、ソフトを起動して30分もたつと、裏側でログアウトされるのか、エラーが起こる。住人専用の図書貸し出しカードがあり、そこについているバーコードをバーコードリーダーでピピっと読み込む。
エラーが起こるときは、そのバーコードを読み込まず、強制的に終了画面に移行してしまうのだ。
そのライブラリーラウンジには、管理している人や図書館司書のような人はおらず、何か問題があったら、1階の受付まで行かなくてはならない。それが面倒くさい私は、終了画面に移行したら、勝手に再起動させ、また使えるようにする。初めてライブラリーを利用した時から、強制終了の洗礼を受けていたし、もともと、30代前半まではWEBデザイナーだ。パソコンの癖など簡単に読み取れる。
ソフトが強制終了したら、どうしたらいいのかぐらいは、目をつぶってでもわかっていた。
今日、本を返却に行った。本の貸し出しは1週間。しかし、1日延滞してしまった。忙しくて、珍しく読み切れなかった。いつもは朝早くか夜遅くにしか行かないライブラリールーム。(24時間出入り自由)いつもと違う平日の日中の時間に、慌てて返却に行った。平日の日中は意外と住人の利用率が高い。
私の前に、本を借りようとしている親子がいたので、後ろで待っていると、そのお母さんからいきなり声をかけられた。
「これ、わかりますか?」
パソコンの画面を見ると、例の強制終了画面。「ああ」といって直すと、「わぁ、すごい!直っちゃった」といわれた。
「いえいえ」といいつつ、心の中は「再起動しただけだがな、、、」。
そう、こんなもの。
私はシステムエンジニアでも、システム部出身でもない。
そもそも、別にパソコンに詳しいわけでも何でもない。単なるWEBデザインができて、多少HTMLのタグが書ける程度のこと。
しかし、PCにあまり慣れていない人にとっては、小さなエラーは一大事のよう。どうしたらいいのかわからんのだろうな。。。考えてみれば、PCは、人間が構築したものだから、どんなに何を言ったって、人間が命令した状態以外には動かない。
だからたとえエラーが起こっても、何か改善できる手段は必ずある。しかし人間は、機械に振り回されてしまう。冷静になれば、わかることだが、「壊してはいけない」という意識が、余計に混乱させるのであろう。
なぜか私は、PCやスマホのちょっとしたエラーの修復が必要な場面に遭遇することが多い。そしてなぜか「教えてほしい」「直してほしい」といわれることが多い。
私はエンジニアでもないし、システムのことがわかるわけでもないけれど、完全な故障でない限りは、何とかなる。大したことじゃ壊れないことを知っているから。
物事は、怖がらなければなんでも乗り越えられる。絶対に。
今日の親子も、エラーを怖がっていた。どうしたらいいのか、恐るおそるPCの画面を凝視していたのだ。
エラーを修復できた時の喜びは、WEBデザイナーをやっていた時から感じている。あれは癖になる。爽快なスカッとした快適な、やり切った気持ちにある。「私ってすごいじゃん」と自画自賛したくなる。
それが友人や知人、ましてや全く知らない人のために役に立ったとなれば、なおさら癖になる。
結局、あの時のやり切った感が忘れられず、PCエラーの修復を求められると、ついつい、やらなくてもいい手助けをしてしまうのだ。
コメント